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7/4/2009

参院に提出された臓器移植法の改正案の疑問点

衆院を通過したA案は、衆議院議員のどうでもよい早く済ませたいという態度の表れを証明した形となったが、参院での審議は、恥ずかしくない知的レベルの下で行われるであろうか。とは言っても、よくつかわれる慎重審議「時期尚早」と云う言い訳で無為に時間を延ばすことも無責任な背任行為である。

千葉景子氏に対する朝日新聞のインタビュー記事の改正案説明では、脳死の位置づけを臓器移植の場合で「人の死」(検討中)とある。これはいろいろな意見がある中で、臓器移植を支持する人の最も受け入れられやすい原則ではあろう。ただし、社会的には、誰が脳死判定を申請し、どんな組織で脳死判定を判断するのか、限られた時間内にその時点での医学的データにより判断を下すことが重要であり、後で医学的、あるいは法律的に責任を生ずるリスクを避けるに十分で有効な記録をどの組織で総合的に保存するか。このようなことを先に決めてその条件を明らかにして始めて審議できる問題であろう。

両案に共通している「親族への臓器提供優先」の項目。社会的に見た場合あまりにも ”素朴” すぎると思う。親族とは何を指すのか、戸籍上の親族とすれば、遺産相続の場合に見られるように問題がい多い。死亡者からの臓器移植の原則は ”提供者と受益者の関係は秘密に保たれる” と云うのが常識と思っていた。

子供の場合、脳死臨調を提案しているが、詳細は説明されていない。今までの行政系の審議委員や有識者の人選は、各界の管理職経験者が多く形式的手続きと云った場面が多い。たとえば、医療関係の各種審議委員会でも、病院や大学管理職経験者、学会の理事など、管理者側に都合のよい耳障りの良い人たちを集め、官僚の免責に使われている様にみえる。

何となく、核心に触れると法律が通りにくいのであいまいにして法律を通そうとするのが見えている。とはいっても、先延ばしにするのが良いと云うのではない。

一つの提案として、世界の学会(医学だけでなく、社会や法律)で論文が広く流通し、評価されている現役の研究者で構成された委員会を組織し、一般的な利害を明らかにし、法案の利点や問題点を明確にして参院に提案すべきであろう。

6/20/2009

悪夢

臓器移植法改正A案衆議院通過

官僚提案の医療保険・介護保険100年の計

「脳死は人の死である」

脳死状態、強度の認知症の患者の場合。保険組合が独自に脳死判定の申請を可能とする。

脳死判定がが確定すれば生命維持装置を合法的に切断することができる。

親族がこれを拒否すれば、医療・介護保険被保険者の資格を抹消する。

まさかの夢想であってほしい。

6/19/2009

臓器移植法改正案A案が衆議院で採決された

臓器移植法改正案に対する各議員の投票結果名簿が公表された、これは当然のこととはいえ喜ばしいことである。すべての法案について党議拘束をなくし、このように公表すべきである。議員は公人であり、行動には個人の責任を明らかにすることが当然である。

ちょっと結果の傾向を見てみる。

選出母体      投票数  賛成票数 反対票数   賛/非率

小選挙区選出議員   269         179          90   2.0

比例区選出議員    159          84           75         1.1

比例区の地域別に賛否を見てみると

          投票数  賛成票数 反対票数 賛/非率

東海                        19            12            7           1.7

近畿                        25            16            9           1.8

東北                        12              4            8           0.5

中国                          9              3            6           0.5

九州                        20              7           13          0.5

となり、小選挙区議員と比例区議員では,この議案に対する見識が違うグループと云っても良いだろう。地区別には、統計的な検定が必要であるが、比例区議員については、東海・近畿選出の議員に賛成票が多いと云えるだろう。小選挙区議員についても個々の選挙区で統計的とみられるバラツキが大きいが、傾向としては。東海・近畿(京都を除く)に賛成票が多いように見られる。

17日に書いたように、道州制であれば、”中部・近畿州”でまず無理なく法制化できるのではないだろうか。

A案は「脳死は人の死」との無条件の前提があることが欠陥であると思う。臓器提供の目的に限定した脳死判断でなく無条件では、脳死状態の患者に対し、医療保険団体が、親族を説得して死亡判定を申請することにもなりかねない。法的に有効な本人の「死亡選択遺書」を表明していない人や、未成年の場合、脳死の判定を申請出来るのは、親族や利害関係者、医療にかかわった関係者を除外して、患者と関係のない独立した委員会に任せるよう拘束を設けるべきである。関係者の人権を尊重するのが最大の原則であるが、社会的には、死亡日時が利害関係者にとって重大な問題を起こす場合もある。これは、サスペンスドラマの話だけではない。困難な判断を、家族や治療に当たった医療関係者に任すのは責任のがれの制度で、聞こえは良いが現実の社会的状況を予測すると素朴すぎる感がある、終末期医療に関し、アメリカのいくつかの州ではこのようなことも踏まえ法制化している例がある。

これに関連した記事 終末期医療と死亡選択遺書について 2006/10/31     終末期医療と死亡選択遺書について

ドライブレコーダーを全車に トヨタの株主総会で提案

交通事故遺族の会員がトヨタ自動車の株主となって全車にドライブレコーダーを標準装着するよう提案すると云うニュース。

現在、運送業界などで使用しているドライブレコーダーの機能は知らないが、カメラ映像やスピード記録と云った道交法違反かどうかを確認するためのものだったら、運転者にプレッシャーをかけ、交通渋滞を助長するだけで意味がない様に思う。

現在では、3軸加速度計の機能を持ったICが実用化されている。このような加速度計を組み込んだコンピュータの開発のより、危険運転を事前に察知する機能を持ったレコーダーは、カーナビ程度の価格で開発可能と思われる。

飲酒運転の防止のために、先進各国ではいろいろな方策が考えれれているが、車の加速度状況を分析することにより不安定な異常運転をかなりの精度で検出できると思う。この様な装置は、泥酔運転だけでなく、医薬品の一時的な副作用による運動障害、病気による身体的機能障害、過労や居眠り運転の警告など、また、年齢で一律に課せられている有料の高齢者講習も意味がなくなる。このような汎用的な機能を持つ装置について、大学などの研究機関で総合的なソフトウェアーの開発を試みる価値があるように思う。

以前に、このようなドライブレコーダーについて、トヨタ自動車に意見を送ろうと書き、Webを探したが、一般的な意見や要望を聞く箇所が見当たらなかったのでそのままになっている。

以前に書いた記事: 2008/11/21     自動車にもドライブレコーダー(EDR: Event Data Recorder)を

6/17/2009

臓器移植法改正案と審議中の国会議場風景

臓器移植法案審議開催中の国会の様子をテレビで見た。メディアの習性で、視聴者の興味をそそる映像だけを編集して放映していることを割引しても、人の生死に係わる法案の審議の場面とは思えない緊張にかける風景であった。このような高度の知性を必要とする問題に関し、審議する能力も理解力もはじめからない議員が多く、自分の支援団体の利権に係わりのない議案に興味がない。顔が見えない状況でみんなと同じように投票すればよいぐらいの考えであろう、議場は休憩か、雑談の場となっていたようだ。

ただ一つ、議員にとっての難題は、この議案に対しては党議による拘束をかけないということに自民、民主は決めていることだ。法案も4法案同時審議であるようだから自己責任が求められる。議員一人ひとりの投票行動の結果の名簿をリストにして公表してほしい。この議案に対し、無記名投票でなければ公正な議決にならないと云う理由はないだろう。だれにとっても、どの利益団体にとっても利害関係がない、基本的人権に関する問題である。

税金をどう分配するかには無関係な、このような議題に国会議員の大部分の人たちは興味はないし意見もない、だからと云って、すべて廃案にしたり、先送りするのも議員としての無能力さが指摘される。議案は、本来与党の意向にしたがって、各省庁が官僚に指令し一つの法案に纏め、提案するのが内閣の指導力で、今回のように、議員個人の判断を求められるのは迷惑だと云うのが本音の様に見える。

何れにしても、このような問題で統一的な一つの法律を作ることには無理がある。一つの仮想的な方策として道州制が考えられる。各州で法律を決められるとすれば、たとえば、「北海道」州では、年齢にかかわらず脳死を認め、脳死者からの移植を合法とすることが成立したとすれば、移植を望む人は住民票を移せばよい。これに個人の信条として承服できない人は住所を隣の「奥州」州に変えればよい。

この問題に限らず、判断や選択を統一するのに十分な根拠がない問題は道州制の運営により、日本国内でいろいろ実験が出来、結果を事例に基づいて判断し、より適格な法律の根拠を得ることができるであろう。

「実験」とは不見識だと云う言葉尻だけのおしかりを受けそうだが、個人の生死にかかわる医療行為を、「根拠もなしに仲良くみんなで拘束する」この方がよほど無責任と思うがどうだろう。

一つの国の中にいくつかの政府があることをイメージできない人も多いと思うが、1960年代、アメリカでは法的に離婚が認められる条件が州によって異なり、アイダホ州は離婚を認める適格条件の多い州であった。この州の北部、長期滞在するほどのリゾート地でもないコードレーン湖のほとりにモーテルの多い地域があった。その理由は、合法的な離婚のためと聞いた。この州の法律の適用を受けるためには、居住を移してから4週間か8週間か忘れたがある期間滞在しなければならなかったからである。

6月18日追記  上の例は、人の生と死に関する問題とは次元が違うという印象を与えたかもしれないので追加する。

終末期医療と死亡選択遺書について 2006/10/31日に書いた記事で、アメリカの2,3の州の法律を列挙した。このように各州でそれぞれ異なった取扱いをしている。 

6/14/2009

1960年代 日本の科学、芸術文化が世界に進出した輝かしい時代

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小澤征爾さん予定をキャンセルしてパリで入院のニュース、しかし夏のサイトウ・キネン・フェスティバル松本では指揮の予定とあった。昨日の内田さんの明るいニュースとは違うがまあ一安心である。

また古い話になるが、1968年夏のシーズン、小沢征爾さんのアメリカ時代、サラトガ・パフォーミングアーツセンターでのプログラムが出てきた。

小澤さんの指揮で武光徹さんの November Steps がプログラムに載っていた。琵琶、尺八とオーケストラのダブル コンチェルトと解説してあった。残念ながらこのコンサートには行かなかったが、小澤さん指揮のチャイコフスキー Festival Overture, “1812” には出かけた記憶がある。終章で大音響の鐘の音とともに、指揮者と電気的に同期された本当の大砲を使った派手な演出で、アメリカ人聴衆の大満足のコンサートであった。

今年の松本でも武光徹のプログラムがあるので出かけたいと思っているが、残念ながら第一次のチケット予約は終わってしまった。二次予約はミスしないよう気をつけよう。

昨年のノーベル賞受賞ラッシュ、そして昨日の内田さん、小澤さん、1960年代に若い世代であった人たちである。

サラトガ パフォーミングアーツ センター SPAC  ニューヨーク州  http://space-glow.spaces.live.com/blog/cns!A841E9CE14183CB0!3517.entry

6/13/2009

内田光子さん イギリスでディムの称号を与えられる

内田さんの思い出y1pHSfuTP1LBuFVlL7MltBON-4AbVfe6K9hW9Rb-FajpF-lZSaeqB7-iRRlLA9wV0SkrNYoLFKEhoQ

このブログ、2007年8月1日 マルボーロ音楽祭 MARLBORO Mushic の記事に書いたように、彼女が音楽ディレクターをしているこのカレッヂの音楽会で、中休みの時に家内と一緒に直接声をかけてもらうことができた。

また同年8月5日には、ニューヨーク州カラモーアでベートーベン最後のピアノソナタ30,31,32番(Opp.109,110,111)の3曲を選んだピアノリサイタルを聞いた。カラモーア クラシック音楽シーズン最後のコンサート Caramoor Center for Music and the Arts 内田 光子 Mituko Uchida

昼のニュースで受賞のニュースを聞き感慨深いものがあった。内田さんのモーツアルトソナタ全集のCDは何年も前から何度となく聞いて知っていたが、カラモーアのコンサートと同じ曲目のCDが発売されていることが分かり、帰国後購入してこのCDも時間がある毎に聞いている。MITSUKO UCHIDA Beethoven Piano sonatas,Phillips.

彼女の演奏は、非常に学究的で知性の高い音楽と思う。 おめでとうございます。

                                                                     マルボーロ音楽会で若いアーチスト会話する内田さん

                                          内田さんの向こうは同じく音楽ディレクターのリチャード・グーディーさん

6/9/2009

研究者を海外へ いまだにどうしてこうなんだろう文部科学省の認識

新聞によると、文部科学省は若手研究者を中心に、1ヶ月以上海外研修に補助金を出すという。言葉の上では良いことのように見えるが、本当に意味があることであろうか。税金の無駄遣いのように思う。

1ヶ月であろうと、3年間であろうと日本の政府のお金でそれぞれの留学先でお客様として外国の大学に滞在していたからといって、その組織での第三者的立場では、研究成果も期待できないし外国事情も本当のところ分かることはない。

成果を上げるには、留学先のそれぞれの大学、研究所の正規の大学院学生、研究職員、教育職員としてその組織の一員としてでなければ、所詮そこでのお客様でしかない。

アメリカ・カナダの例であるが、外国人であってもビザの資格が適法ならば、大学院生では一般にハーフタイムの助手の給料が支給される制度があり、研究職、教育職等の場合、年契約などで臨時職員としてフルタイムの給料が出る。このように、留学先の本国人と競争的立場で地位を保持できる能力、給料並の成果が期待され、その社会に組み入れられて、それらの人々の協力を得て初めて研究成果が得られるばかりではなく、研究行政システムや管理システムなど、また留学先の研究者との人脈などが出来るものである。助成金はこのような能力を持った人に限り、航空運賃や、家族の(場合によっては)二重生活のための経費の補助の意味で支給すべきである。

1950~60年代、日本の国立大学では、研究者や教育者として外国の機関から招聘され、先方で支給される給料の契約書と、学会などの公的資金で外貨の渡航運賃の支給証明書があれば現職のまま留学することができた(一般人が外貨を取得できない為替制度のため)。期間は制度上最高3年(医学は4年)であったと思う。もちろん現職出張の取扱であるから日本での給料も保障され、帰国後の職の心配もなかった。これらの制度で海外に渡った多くの人たちは現在60代後半か70台以上の世代であるが、一部の人たちは帰国しなくて渡航先の国に貢献した人もいるが、帰国した人たちは日本の学会や企業の国際化に貢献した力は大きいと思う。これらの人々と、勤勉な当時の人々が、敗戦後ゼロから世界第二の経済大国を作り上げる大きな力になったのである。

経済の拡大に伴い、外貨為替の自由化となり、誰でも私費で外国に滞在することができるようになり、資格も、成果もなしに単なる外国生活を留学経験として経歴に書いているような現世代の政治家、それらお坊ちゃまやお嬢様、国費で短期留学をした高級官僚たちの時代にそぐわない発想の補助金でしかないように思う。

6/5/2009

オバマ大統領の勇気 イスラム文化の尊厳を認識した演説

冷戦時代の共産主義狩り、9・11以後のイスラム系の毛嫌い、アメリカ社会は自分たちの社会基盤としている価値観と異なる文化に対する反感は激しい。

オバマ大統領のカイロでの演説は、単に、格調高いとか正義の理念だけのものでなく、現在進行中の紛争や、宗教対立に立ち入った具体的な問題に対して明確な意見を述べている。本人も演説で言っているように、これが実現できることこそ今後の彼の課題である。

昨年の経済崩壊で、アメリカの社会・経済を牛耳ってきた高額納税者層が自信を失い鳴りをひそめている束の間が、オバマ大統領が大胆に実績を上げることの出来るチャンスであろう。就任半年弱、オバマ大統領の自信に満ちた演出、前政権までのアメリカの世界戦略を否定する演説と見た。

5/30/2009

自動車運転免許業務は消費者庁へ

今の日本の道路交通事情は、欧米先進国と同じように、成人の殆どが運転免許を持ち、自動車交通を生活に利用している現在、昔ながらの、職業運転手を管理する感のある運転免許業務ではなく、一般市民サービス業務に移す時期に来ているのではなかろうか。

今日の自動車交通システムは、法規をはじめ、道路のインフラ、信号・道路標識など、多様な利用者の総合的な社会的合意のもとに運営されるものであろう。

警察庁が運転者管理を一手に担っている現在の方式に弊害はないとの意見は多いと思うが、これは、我々自動車運転者が一種の犯罪予備軍のような扱いを受けているのに慣らされているからであると云ってもそれほど過言ではないと思う。交通法規の細かい規定が、事故後に運転者の責任を立証しやすいように、また効率的に事故処理がしやすいとの意図で設けられ、運転者の側に立っていない面が多いように思われる。

自動車事故の場合、泥酔運転や一部の無謀運転を除き、事故に関与した者全員の不幸な災難と見られる。人間工学的には過失は避けられないもので、たとえ過失による間違いを起こしても、事故になる確率や、不幸にして事故になっても人的被害の出来るだけ少ない道路インフラや、信号システム、道路標識など、科学的研究に基づいて改善すべきことがなおざりにされている。これは、事故において道路管理者側の責任が問われた事例が皆無であることを見ても分かる。

警察庁は、法律や法規を執行する組織であり、法規の立案権はないはずである。これは社会的合意による政治の役割であるはずであるが、現実には道路交通法に関してはこの分権制度があいまいになっているようにみえる。

先進民主主義国で、運転免許業務をはじめ、道路交通管理の全権が警察にあるのは日本だけであることの弊害を考えてみてもよいだろう。国際的に比較して異常な経費のかかる車維持費も不思議である。

5/28/2009

ブルー・へヴン 青色系バラ 花フェスタ記念公園を訪れて

岐阜県可児市のバラのテーマガーデンの青い庭に植えられている河本バラ園作成の青いバラを見てきた。

青いバラ。桔梗や、菫の色にはほど遠いが、青いバラとして認められているようだ。ばらの色は、季節や天候によってかなり色が変わるので似通った色のバラは自宅にもあるが、色素の分析等の科学的検証の結果このバラが青いバラとして公認されているのであろう。

植えられて公開されていたのは写真の2株であった。撮影は、ソニーのサイバーショットT700,オートの近接撮影で行った。撮影時は、空が白く見える軽いうす曇り状態であった。撮影記録を見ると色温度5000度K程度になっていたので、全画像を6000度Kの色温度の光源に相当する画像に一律に変換し以下に表示した。

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http://www.hanafes.jp/flower/wf_r_detailphp?k_no=750&c=1

5/24/2009

サラダのおいしい季節 ハーブの花

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サラダが美味しい季節、ハーブの花を写してみました。花を食べられるハーブや、オリーブ油に漬ける用途もあるようです。

カナダの夏、田舎の町のレストランでびっくりする程おいしいいサラダに遭遇したことがあります。サラダの材料は採りたてが大切です。オーストラリアパースのグローセリー・ストアーで、サラダの材料のパケージに当日に採集した時刻が書いてありました。夕食にサラダを作りおいしくいただき、残りを翌朝食べようとしてあまりの味の違いに驚きました。

日本や、アメリカの大都会のレストランではサラダが美味しいと思った記憶はありません。おそらく材料を遠くから運んできているからでしょう。ヨーロッパの夏、田舎のリゾート地では、おいしいサラダとよく管理され食べごろの地元のチーズとワイン、至極の時です。    DSC00277M

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私の知る限り、朝食にサラダが出るのは日本だけのようです。普通朝食には果物が準備されています。宵越しの野菜のサラダはおいしくないということでしょうか。

5/20/2009

イギリスにもいた ”さもしい” 議員

英議会下院で住宅手当を巡る不明瞭な経費請求が常態化していた問題で、マイケル・マーティン議長(労働党)は辞任すると表明した。事態への対応を誤り、責任を取らされた事実上の解任と云うことのよう。野党・保守党のキャメロン党首は国民の政治不信を背景に、「事態収拾には解散しかない」と訴え、解散・総選挙まで行くか?

聞こえてくる話は、公金でペットのえさやガーデニングの費用を支払ったとか、”せこい” 高官は日本だけではなかった。見方によっては、指導者階級の庶民化の結果で、すべてが悪い現象でもないかもしれない。日本に似通ってきたとも云えなくもない。事態の行方を見ていこう。

認知症検査を自動車学校でやろうとしているのは合法か?

警察庁ご意見箱に投稿した文章  May.20,2009

御意見・御要望 <全角文字1000文字以内>

 

6月1日から始まると言われている認知症のような医学的検査を自動車学校で有料でやろうとしていることの合法性についての質問。「マークシートを書かせるだけだから医学テストではない」と云う解釈かもしれないが事実上は個人の身体機能検査である、自動車学校の教員に医療従事者のような個人の健康データを取り扱う守秘義務の法的整備はできているのであろうか。自動車学校が運転技能の評価をすることを任されているのは、運転技能は訓練すれば向上するからである、個人固有の身体機能評価とは違う。現代の先進国の趨勢は、どんな形であれ身体の状態の診断は公的な教育・訓練をうけた医師だけが行える行為である。最近、オーストラリアやアメリカでは、65~75歳以上では視力テストを義務付けようとする州が増えたが、低料金で眼科医の診断書が得られる制度を備えてのことである。なお、運転免許証の有効期間を決めている国の多くでは、インターネットや郵送で更新申請ができ、日本のように、日時を指定され、仕事を休んで警察に出向き並んで待たされるようなことは聞かない。ただ、高齢者については、視力検査書と免許サービス課での面接を条件にするところが増えてきたようだが、この場合も個人的に予約するシステムが確立しているようだ。成人人口のほとんどが自動車運転免許を持つ現在、運転免許業務は行政の市民サービスであり、警察の仕事ではないはずである。共産圏を除く、先進民主主義国家で警察が免許行政を含め道路交通に関する権力を一手に握っているのは日本だけのような気がする。このことは、日本の警察の場合悪いことではないと思うが、交通規則が、事故後の処理をしやすいように微に入り細に入り、しかもしょっちゅう変更されている、本来、よほどの交通環境の変化がない限り、交通法規は変わるはずがないものであろう。国際化の今日、法規だけでなく言語の違う国の間でも運転することが当たり前になっていて、講習を受けなければ常識で理解できないような法規は運転者には必要ないはずである。この国際的な現状認識が警察庁に欠けているように思います。

これで送信してしまったが、後で読み返して、二つの異なった内容を書いてしまったので質問とは受け取られない恐れがあることに気がついた。
5/19/2009

なぜ渡航歴のない人から新型インフルエンザを発見できたか

日経メディカルオンラインの(5月17日:私の視点)大曲貴夫氏(感染症科)の記事を読んで。

印象に残ったのは 「ひと言でいえば、現場の医師の感覚はやはりするどい、と云うことだろう」という書き出しの言葉である。

クリニックの医師が見た高校生はA型陽性だった。今、日本で流行しているインフルエンザはB型で、A型は流行していない。医師は、この地域の高校生の間にインフルエンザの症状が増えているとの情報と合わせて「異常である」との感覚を持って、検体を公的機関に送ったと云う。

ただし、日本のPCR検査に該当する症例定義では、海外渡航歴があることを前提としているということが付け加えられている。

以上がこの記事の概要だが、もしこのクリニックの医師が、現在日本で蔓延している ”思考力の欠如したマニュアル人間”で、機械的に厚生労働省の指示通りに処理していれば、また公的検査機関が、渡航歴が無いと云うことで検査を拒否していたらもっと大きな流行になっていたかもしれない。また、検査の結果新型インフルエンザは陰性と判定されていたら、システムを混乱させたとしてこの医師は非難されていたかもしれない。

このことからも、最も大切なのは、インターネットの利用などにより、生の情報交換が医師や医療機関の間で密接に行われ、そのデータによる判断は現場の医師の裁量に任されるべきで、土日休業状態の監督官庁の管理職の決裁や、政治家の過剰介入は事態を遅らせるだけだと云うことを証明している実例のように思う。

5/17/2009

「警察庁の勇気 高齢運転者標識の表示義務の取り下げ」

強大な権力組織である警察庁が一度言い出したことを事実上取り下げた勇気は称えるべきであろう。

もう一つの懸念は、認知症のような医学的検査を自動車学校で有料でやろうとしているようだ。マークシートを書かせるだけだから医学テストではないと云うかもしれないが事実上は個人の身体機能検査である、自動車学校の教員に医療従事者のような個人の健康データを取り扱う守秘義務の法的整備はできているのであろうか。自動車学校が運転技能の評価をすることを任されているのは、運転技能は訓練すれば向上するからである、身体機能評価とは違う。現代の先進国では、どんな形であれ身体の状態の診断は公的な教育・訓練をうけた医師だけが行える行為である。最近、オーストラリアやアメリカでは、65~75歳以上では視力テストを義務付けようとする州が増えたが、低料金で眼科医の診断書が得られる制度を備えてのことである。なお、運転免許証の有効期間を決めている国の多くでは、インターネットや郵送で更新申請ができ、日時を指定され、仕事を休んで警察に出向き並んで待たされるような日本方式は少ない。ただ、高齢者については、上記の視力検査書と免許サービス課での面接を条件にするところが増えてきたようだが、この場合も個人的に予約するシステムが確立しているようだ。

成人人口のほとんどが自動車運転免許を持つ現在、運転免許業務は行政の市民サービスであり、警察の仕事ではないはずである。共産圏を除く、先進民主主義国家で警察が免許行政を含め道路交通に関する権力を一手に握っているのは日本だけのような気がする。

日本の警察は、多くの国と違い、戦前を含め過去に強力な権力を背景にした暗いイメージがなく、交通行政全般を任せることの支持を得られていることは良いことと思っている。ただ、交通規則が、事故後の処理をしやすいように微に入り細に入り、しかもしょっちゅう変更されている、本来、よほどの交通環境の変化がない限り、交通法規は変わるはずがないものであろう。国際化の今日、法規だけでなく言語の違う国の間でも運転することが当たり前になっていて、講習を受けなければ常識で理解できないような法規は運転者には必要ないはずである。この国際的な現状認識が警察庁に欠けているように思う。

こう書くと、日本は島国で日本人だけが運転しているのでいいじゃないかと云う意見もあろうが、眼には見えないが、日本では空港で車を借りて目的地に行くような先進国では当たり前のビジネスや観光旅行が外国人にとっては非常にやりにくい、極東アジアの国際化が進む中で日本からビジネスが逃げていく原因の一つになることを交通行政にたずさわる責任組織は考えてみてほしい。

5/16/2009

警察庁の「高齢者支援のための重点施策」に対する意見募集結果の報告を見て

2009年1月18日にブログに書いた内容で警察庁に送った表記のマイオピニオンに関する報告書を読んでの感想。

「高齢者支援のための重点施策(案)」の内容以外の意見については、今後の参考とします。と云うことで、重点策の技術的問題のみの回答に限定していることから、以下のような根本的な疑問を除外しているようだ。

(1)この施策案の根拠となっている、間違った認識 ”高齢者運転の事故率が際立って高く社会に危害を与えている” については見解がない。

(2)人権問題として重大な疑念のある ”75歳以上の高齢者は、公道上で年齢を公示しなければ有罪にする” このような憲法上の理念にもかかわる意見も除外している。

ただ、強大な権力組織である警察庁が、一度言い出したことを事実上「撤回する勇気」は称えるべきであろう。

 

以下この報告書で違和感を感じた点について書く。

意見の総数 56件(内 電子メール 53件、FAX 1件 郵送 2件) 本当に意見を聴取したいのであれば、これほど少数の意見しか帰ってこないことの原因の分析をし、多くの意見が集まるよう広報などで周知を図ることも必要であろう。

報告書の警察庁の考え方の内容では、

   高齢者運転への決め細かな対応について、「年齢で一律に運転トレーニングを強制することについて」は不合理であるとの反省が見られるが、そのかわり、6月から始めようとしている「認知機能検査制度」、一種の医学的検査である検査官の教育制度と資格、個人情報の守秘義務について法的に制度が整っているのかが不明であり、このような医学的調査を医師でない自動車学校職員が有料でやるとすれば論外と思うがこのような認識はあるのだろうか。先進諸国では医師が診断することになっている。

   高齢者駐車区間制度について、これを利用するのになぜ官憲の証明書を必要とするのか、高齢者に限らず医院での診療や、身体不自由者、乳幼児を連れている人等を含め、必要とする人の常識的な判断に任せられないのか。

   「高齢運転表示車に対する運転妨害の罰則強化はこれから検討する」とあるが、高齢者保護を目的とするならばこちらの法改正ががが先でなければ論理が通らない。

   「高齢者運転標識の様式の検討について」。 こんなくだらないことを決めるのに税金を浪費しなくても、保護を受けようとする人が常識的な方法で表示すればよいのではないか。

   交通安全施設の整備について、「自転車や、歩行の危険性について言及していないのは高齢者支援と関係ないので盛り込んでいなかったが、警察では道路管理者と連携して推進する」との文面があるが。いまさらこんな言及は、高齢者の道路交通で最も死傷率の高いのは歩行者であるという統計的事実を知らなかったからであろうか。

   終わりに、環境整備についての項で、試案にはなかった「PTPS」 と云う語が突然説明なしに出ているが何のことであろか。PTPS; Public Transportation Priority System のことであろか。人口の20%もの高齢者を、安全で有効な交通手段である自動車運転から除外し生活権を奪うことが「Public Priority」と云いたいのだろうか。

   試案の根拠となる、高齢者運転事故の統計的把握の間違いについて公的資料を示して提出した意見に対しては無視されどこにも触れていないのに反し、「努力義務になれば、高齢者標識の製造業者や小売業者としては、おおくの在庫を抱えることとなり、経営負担を強いられることとなる」本当にこんな意見があったとしても、高齢者支援の趣旨に無関係なこんなくだらない意見こそ無視すべきで、わざわざ報告書に入れるのはどんな意味があるのだろうか。こんな見識のないいい加減な報告書が警察庁の文書として公表されていることを警察庁の幹部は知っているのだろうか。以下の文章も疑わしい。

重要で明解な以下の文章

「・・・・高齢運転者標識の表示義務の在り方について改めて判断することになり、仮に将来、再び表示義務の在り方について見直しする場合には、国会での審議を得て法改正をおこなうことになります」は警察庁の公式見解として理解してよいだろうか確認したい。

 

ここで、1月18日に私が警察庁のマイオピニオンに応募したメールの結論の部分を再掲して見る。

9.結論

● 科学的根拠に基づいて高齢者の交通の安全性と必要性を把握し、先進国として知性と品位のある交通行政への転換が望まれる。

● 75歳以上の運転者の車にマークを表示しなければ有罪にすると云う、根拠のない理由で制定された人権違反の法規を取り下げことになったのは当然の処置であり喜ばしい。

● 日本や、欧米の先進国において、どの統計的分析結果においても、高齢者運転が、他の年齢層に比べて極端に事故や違反が多い結果にはなっていない。

● 高齢者の運転を生涯出来るだけ長くサポートするという社会的理念を定着させることが重要であるがまだ十分ではない。

● 高齢者にとって安全な車の開発と、道路のインフラの研究と改善が必要である。

● 一般の運転者に高齢運転者の特性を認識させる教育が必要である。

● 機能障害により運転に危険性が生じたとき誰がその事実を知らせ、運転を止めさせるよう説得するかの研究と社会的合意が必要である。

               ________________________

規制が大好きな警察庁、上記の意見の中, ”●一般の運転者に高齢運転者の特性を認識させる教育が必要である” だけは取り上げてくれた。

報告書であれば、寄せられた意見内容の分布の客観的な分析表を載せるべきであり、都合のよい部分だけを勝手に拾い上げて利用したと思われても仕方がないような構成はどうかと思う。

5/14/2009

プーチン首相と麻生総理

両首脳会談のニュース写真をみて。北方領土を担保にして有利な交渉をしたいプーチン不動産屋と中古車の販路を拡大したい麻生中古車屋の腹の探り合い。何となくこんな不謹慎な印象を受ける。

見かけだけであってほしいが、なんとなく知性と品位の感じられない両首脳ではある。

5/7/2009

大統領・首相の人格

最近日本のメディアで見る機会の多い国々の大統領・首相の学歴を調べてみた。いずれもウィキペディアで調べた結果である。

 

     学部卒:

日本         麻生太郎                     学習院大学   政経学部

フランス    ニコラ・サルコジ             パリ大学   弁護士

イタリア  シルヴィオ・ベルルスコーニ  ミラノ大学   法学部

韓国    李 明博                       高麗大学   商学部経営学科

 

     博士の学位保持者:

アメリカ  バラク・オバマ       ハーバードロースクール               法学 博士

イギリス  ゴードン・ブラウン     エディンバラ大学                      歴史学 博士

ドイツ   アンゲラ・メルケル     カールマルクス・ライプツィヒ大学

                                        (現ライプツィ ヒ大学)               物理学(分析化学)博士

ロシア   ドミトリー・メドベージェフ レニングラード大学

                                        (現:サンクトペテルブルク大学)   法学 博士 

中国    温家宝           北京地質学院(現:大学)研究生課程  研究歴7年 学位?

 

つまらない独善的な放言でメディアの餌食になっている日本、フランス、イタリア、三名の首相の共通点。学歴ばかりのせいではないだろうが、何となく学位のある人物と差があるような気がする。 偶然だろうか?

5/4/2009

交通テクノロジーの情報を配信しているウェブサイトを見つけた

世界の交通テクノロジー情報を配信するとして、株式会社 ジェイアール総研情報システムのウェブサイトを見つけた。

交通関係は云うに及ばずかなり広いテクノロジーの情報が網羅されている。

データソースの出所が表示されているので情報の信頼度を調べようとすれば可能であるが、残念なのはURLが添付されていないので、オリジナル情報を見ようとすると、探すのに手間がかかる。

今まで書いてきた高齢者運転に関連して、アメリカ、オーストラリアで強まってきている高齢者自動車運転に関する研究と、社会的な規制強化の風潮を調べてみたいと思っている。

いずれにしてもこのような情報を提供している会社があることを見つけたので記事にして見た。

http://www.jrsi.co.jp/

鉄道業務支援ターミナル

 

研究から退いた地球物理学者のつぶやき

まっとうな常識とは何でしょうか? 組織の一員で無くなったとき見えてくるものかも知れません。

敏朗 市川

Occupation
Location
Interests
定年退職者、
理学博士
E-mail spaceglow@tg.commufa.jp
セカンド人生に生きる地球物理学者のつぶやき としていたが、ゲームと紛らわしくなったので、「研究から退いた地球物理学者のつぶやき」 と変更したMay.30,2007.
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